いつも私って、〇〇なんだから!と自分を責めるとき
先日、「分からない」という言葉に、どんな意味付けをしているか?という記事を書きました。
そんなに私って「分からない」って言えないのかしら?とちょっと落ち込みました。「分からない」の一言が言えないなんて、情けないーーって。
頭がぐるぐるして、とにかく自分を責めていました。なんで、そんな意味付けしてたんだろ?って。
細かく思い出してみると?
けどね。その後、よぉく思い出してみたら、「分からない」と言えているときもあったんです。
仕事の時とか、結構、部下に聞いてたし。初めての場に行くとき、要領が分からなくて、人に聞いてたし。そういう時は、結構、聞ける。
逆に、「分からない」と言いにくいのは?うーん。今、コーチングプレイスで基礎講座の講師をしているのですが、受講生に聞かれたら「分からない」とは言いにくいな。
そうですね。経験値があるところだと、「分からない」と言いにくい。そうじゃなければ、言いやすい。なんだ。普通じゃないか。
そういう時もあるし、そうじゃない時もある。
それで、今日、書きたいのは、ていねいに自分を見てないと「なんてダメな自分なんだー」と責めてしまって、オシマイになっちゃうってこと。
ていねいに、一つ一つを見てみると、そういう時もあるけど、そうじゃない時もある。そうやって、まるで映画のワンシーンを見てるかのように、自分のことを観察することができるんです。
じゃ、どうしたいのか?
結論。
私は、「分からない」と言える時もあれば、そうじゃない時もある。
私が「分からない」と言ったときに、馬鹿にするような人とは、付き合いたくない。距離を置けばいいだけ。そんな人と、気持ちをすり減らして、時間を過ごしたくない。
「分からない」と言っても、態度を変えずに付き合ってくれる人と、時間を過ごしたい。
自分にどんな面があるのか、じゃ、自分はどうしたいのか。自分の軸が定まると、人と付き合うのも少し楽になりますね。
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