子どもの太郎を柱にしばって創作活動
神奈川県川崎市にある岡本太郎美術館に行って、岡本太郎さんの母、かの子さんの存在を知りました。彼女のエネルギーに圧倒・・。
衝撃なのが、これ。
ようするに、子どもの太郎を柱にしばって、一心不乱に創作活動してたってこと。こんなお写真。
どんなエネルギー!
昭和4年に海外へ。戦前だよ。関東大震災の6年後。
昭和4年には、岡本かの子は、夫の一平、子どもの太郎とロンドンをはじめとして世界一周の旅に出発します。
昭和4年って、戦前じゃん。当時の海外旅行って、どれくらいの人数が行ってたの?と急に気になって調べてみました。
昭和5年の人口は約64,450千人です。
同年に海外旅行に何人行ったか?の数字は分からず。参考に
昭和5年は、ブラジルにたくさん出ていったらしく、多くて年間2万7千人
単純に計算してみると、0.04%。10,000人に4人
2019年(コロナ前)の出国者数は、2,000万人
同年の人口は、1億2616万7千
これも割ってみると、15.9%
いかに、昭和4年の海外旅行者が少ないか、分かります。そりゃそうだ。
その時代に、家族で世界一周って!太郎のお父さんの一平さんが、めちゃくちゃ稼いでいたらしいけれど、それにしてもです。
行けるお金があるのもすごいけど、実際に、子どもを連れて行っちゃう、かの子さんがすごい・・。
激烈な人生
「婦人画報」にも寄稿を依頼されていたそうです。男性関係も波乱に満ちていたそうで、瀬戸内寂聴さん(当時は、瀬戸内晴美さん)が「かの子撩乱(りょうらん)」を書いているそう。
ところで。どうして、こんなに岡本かの子さんのことを書いているのでしょうか。
なんだかなー。
好きに生きて、いいんだよなと思ったわけです。
かの子さんのように生きたいとまでは、思わないけれど、昭和4年という戦前の時代に、そういう生き方を選んだ女性がいるって、
ちょっと心が震えるな~と思ったわけ。
自分が気にしている周りのことなんて、ちっぽけだわ。どんな風に生きたって、だいたい死んだら忘れられるんだろうしな~。
とは言いつつ、ストレングスファインダーの「調和性」的には、「和」が気になるところです。
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