被害者のコミュニケーション
今日は、私の失敗談です。被害者になるコミュニケーションをとっちゃった話です。
とあるコミュニティーで、お手伝いすることを希望していました。
ただ、候補となる日程がいくつかあって、どれも数か月先。お手伝いに入れるかどうか?それがいつ分かるのか?が分からず、もやもやしてました。
心の中で、何と言っていたか?
お手伝いしますと、手を挙げたものの。
私は心の中で「どうせ」お手伝いはできないだろうな。まだ経験値が足りないからなぁと。
お手伝いをしようとしていたコミュニティーでは、私は慣れてなかったので、メンバーには入れないだろうなと、勝手に解釈していたわけです。そう。「どうせ」と。
ただ「お願いします」と言われただけなのに。
ところが、ふたを開けてみると、私もお手伝いメンバーに入っていました。「どうせ」と思っていた私は、お手伝いメンバーへの連絡事項を見逃していて、催促されることになってしまったのです。
まだ入力されてないからお願いしますっていう感じですね。
「どうせ」とすっかり被害者になっていた私は、だって、お手伝いに入れるかどうか、いつ頃に分かるかって、書いてなかったじゃんーって、怒りがわいてきたんです。
ね?すっかり被害者になってますよね。
「私が〇〇する」と「〇〇する私」の違い
この話を、先輩コーチの講座を受けているときに話をしたらですね。
「私がお手伝いをするのか」「お手伝いをする私なのか」でニュアンスが違うねって話になりました。
もし、「私がお手伝いをする」と主体的に考えていたら、日程の候補が出された時点で、これはいつ頃決まるんですか?と聞くという行動を選べたかもしれません。
どこか遠慮して、「どうせ」選ばれないと、被害者のコミニケーションをとってしまい、相手を責めたくなる気持ちを持ってしまったわけです。
「私がお手伝いをする」「お手伝いをする私」では、ほんのちょっとニュアンスが違います。
もし主体的でいられたら、今回のような怒りを持たずに済んだかもしれないのです。いつでも「私が」〇〇するという姿勢でいられたらなー。
そしてすぐに忘れる。
それでね、あぁ本当に反省したと思って、自分の体に染み込ませたいんですけれど、またすぐ忘れるんですよね。
すぐ忘れちゃうんですって、先輩コーチに言ったら、だから、コーチングには継続が必要なのよって言う話になりました。
ほんと、なるほどって感じです。あと数回、失敗したら、身につくかもしれませんね。
今日の結論は、被害者のコミュニケーションになっていることに気づいたら、私が〇〇すると言う主体的なコミニケーションを選んで行こうという話でした。
スタエフでも話してます。
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